誉れを捨てろ!!エルデンリングは社会人の結果主義という冷たい現実を突きつける。

どーも、趣味ゲームのススメの「ススメ」です。

目次

前口上

やいやい。

世の中は結果主義です。

どれだけ世界一の品質の商品を開発しても、誰も求めてくれていなければそこに価値はないとされます。
どれだけ受験勉強に時間を使っても、志望する大学に合格しないと入学することはできません。

求められるもの、求めるもののどちらも結果です。

結果は伴わなかったたが、頑張った過程も評価して欲しい!という話はよく聞く話ではありますが、世の中そんなに甘くないです。

「俺、あと1点あれば〇〇大学に合格してた」
「あの競合が応札してこなかったら、確実に落札してた」

というような「もうちょっとだった」ということで頑張ったアピールをする輩もいますが、結局合格してないし、落札できていないので結果だけ見ると何も成し遂げていません。

そう。
これが社会の冷たい現実です。

逆に捉えると、結果さえ出ていれば過程はそれほど重視をされません。
※道徳的、倫理的にアウトな場合は除きますが。

日本のゲームメーカーであるフロム・ソフトウェアが開発をしたソウルシリーズ。

高難易度で何度もやられて攻略法を見出すというのが前提の作品のため、死にゲーとも呼ばれ、ソウルライクという新しいジャンルを確立しました。

フロム・ソフトウェアが2022年2月に発売した「エルデンリング」

その年のゲームオブザイヤーにも選ばれた作品であり、発売されて4年経過今でも根強い人気がある作品です。

ソウルシリーズを継承している作品のため、高難易度の死にゲーです。

私はこの作品を2026年1月にクリアしました。

このクリアと通して社会の冷たい現実の攻略法を見出した気がしました。

今回はそんな話です。

購入してから4年寝かしたエルデンリング

まず言わせてほしい。
私がエルデンリングをクリアした人間であることを。

高難易度と呼ばれ、クリアした人がプレイヤーの3割にも満たないと呼ばれているエルデンリングを私はクリアしたのだ。

誰が何と言おうとPSのトロフィーを獲得したことは紛うことなき事実。

エルデンリングが初めてセールになった時に興奮を覚え、その勢いのまま購入したのが私。

Bloodborneを途中で投げ出し、仁王2も序盤で諦めた私がエルデンリングを購入したわけだが、案の定プレイ時間3時間程度で匙を投げた。

そこから約4年エルデンリングをタンスの奥にしまったままプレイをすることすら考えることもなかった。

しかし、2025年年末事態は急変する。

2026年の1月下旬に発売するコードヴェイン2を予約し、コードヴェイン2が発売するまでの間に何をプレイしようかと悩む時間が与えられたのだ。

私は考えた。

コードヴェインもある意味ソウルライクの作品であるため、準備運動としてソウルライクの作品をプレイしておいたほうがいいのではないかと。

今思えば、コードヴェインとエルデンリングのゲーム性はそこまで似ていないのだが、敵が強い高難易度の作品という大きな括りで、私は年末年始にエルデンリングをプレイすることを決めた。

約4年ぶりのエルデンリング。
操作から覚え直すエルデンリング。

プレイ始めてすぐに異変に気づく。

これめちゃくちゃ面白いぞ。
俺はこんな作品を寝かしてしまっていたのか?

そこから、ゴドリックを撃破するまでは早かった。
ゴドリックを撃破した時にはもうエルデンリングに夢中。

仕事中ですらエルデンリングの世界のマップが頭に浮かび

「今夜はマップの西側に行ってみよう」
「あのボスは倒せないからレベルを上げてからだな」

とワクワクした日々を過ごした。

4年寝かしたことにより、私がエルデンリングを楽しめる人間に成長したのかもしれない。

ズルしても勝てば良いは正解なのではないか

エルデンリングは人の価値観を変える。

私は年末から1ヶ月をかけて60時間くらいで私はラスボスを撃破しエンディングを見た。

この経験から何か大きなものを得た気がする。

私は裏技やチート使わずに自力だけでラスボスを倒した。
使えるものを全部使ってとにかく勝つために何度もゲームオーバーになりながら、たまたま運が良くて倒したボスもいる。

しかし、全クリは全クリである。

アイテムを使わずに倒したり、卑怯な手を使わず正面から倒すことを「誉れ」とする文化があるが、これは所詮自己満足である。

ファイナルファンタジーでエリクサーを使わない。
ポケモンでマスターボールを使わない。
難易度選択でイージーを選んでプレイする。

これらを邪道として扱う気持ちを持っているゲーマーは多い。そして、私もこの誉れを大事にしていたタイプだった。

しかし、エルデンリングの難易度が高過ぎて、今まで誉れを大事にしていた価値観が崩壊した。

要するに勝てば良いのだよ。

シングルプレイで誰にも見せるものでもないゲームにおいて、誉れを気にして全クリできないのは愚の骨頂ではないのか?

実際誉れを捨て、泥臭く全クリした時の達成感には一瞬の自己満足では得られないものがあった。

効率の良いレベル上げ。
出血武器が有効。
攻略サイト確認。

上等だよ。
ボスを倒すためなら全部やってやるよ。

ズル?
うるせぇ勝てば良いのだよ。

これも正解だよ。

余談〜1+1と微分積分を同じ難易度と捉える層は存在する〜

私は死にゲーが得意ではないと思う。

敵の攻撃パターンを覚え、ローリングをタイミングよく行うというようなことはできるが、これを長時間繰り返すことができない。

要するに我慢ができない短気な性格なのだ。
チマチマ相手の体力を削っていくという戦法が性に合っていない。

だから、高火力の武器でガンガン殴る。
体力と防御力を上げ、殴られても構わず真正面から殴り返す戦法が好きだ。

本当はレベル1でマレニアを倒すような人になりたいと思っているが、おそらくそれには膨大な時間を要するだろう。

しかし、世の中にはこんなことを軽々とやってしまう層が存在する。

「なるほどね、このパターンならジャンプからローリングで対応できるね」
「溜め攻撃から左前に移動して殴れば終わりだな」

なんでそんなことがわかるんだ?
長時間プレイしてとそこに辿り着ける気がしないのだが。

そういえば、ゲームでなくてもこういう経験があった。

多くの人は学校の授業中に板書をノートに書き写す。
しかし、高校生が授業で「1+1=2」という計算式をノートに書き写すことはないだろう。

なぜならば、そんなものはノートに写さなくても理解ができるから。
三角形の面積の公式や九九をノートに書くこともないだろう。

しかし、授業の難易度が上がり、2次関数、微分積分、行列の授業になるとノートをとることになる。
頭の中だけでは処理ができない内容であり、ノートに書き写し、理解をする必要があるからだ。

別に変なことではなく、これが一般的だと思う。

ただ世の中には、2次関数、微分積分、行列の内容もノートをとらずに板書を見るだけで理解できる層が一定数いる。
全部「1+1=2」くらいの難易度に見えている層は別にそれをノートに取る必要がない。

死にゲーが上手い人はこの層だと思っている。

私はこの層ではないがゲームを楽しむことができている。

2次関数も微分積分も行列も問題を解ければいいのだ。
私はこれからも板書をノートにとり、赤本を使って過去問対策をして、二浪してでも志望校に合格するような生き方をしたい。

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